1−3 三陸沖を震源とする地震災害の可能性
前述のように、三陸沖は太平洋プレートの沈み込みによって大地震が頻発する地震の巣ともいわれている。歪みが蓄積されれば必然的に地震は発生する。地震の規模が大きければ、三陸沿岸における津波災害はもとより内陸部での地震動による地震災害の可能性は十分にありうると考えられる。
北海道から福島県沖の日本海溝に沿っては、1933年(昭和8)三陸地震津波・1938年(昭和13)福島県沖地震・1952年(昭和27)十勝沖地震・1958年(昭和38)エトロフ島沖地震・1968年(昭和43)十勝沖地震・1969年(昭和44)北海道東方沖地震・1973年(昭和48)根室半島沖地震・1978年(昭和53)宮城県沖地震が頻発した。そして、しばらくの平穏期の後、1993年(平成5)釧路沖地震・1994年(平成6)北海道東方沖地震・同年三陸はるか沖地震・1995年(平成7)エトロフ島沖地震が連続して発生している。北米プレートとユーラシアプレートとの境界付近でも1993年(平成5)北海道南西沖地震、1995年(平成7)サハリン地震が発生し、日本列島全体が地震の活動期に入ったとの認識が一般的である。特に、岩手県南部の三陸沖には地震の空白域の存在が指摘されており、近い将来にマグニチュード7.5以上の地震が発生する可能性は十分にあるものと考えられる。図1−6に過去約100年の間に発生した主な地震の震源と規模を示す。
北米プレートは内陸部に向かって沈み込んでいる。それ故、プレートの境界付近で発生する地震は一般に日本海溝の付近では浅く、内陸部になると深くなる。日本海溝付近で発生した1933年昭和三陸地震津波の震源の深さは約10kmである。海岸から約150km離れた1994年12月28日の三陸はるか沖地震の本震の深さは約20km、海岸から約50km離れた1995年1月7日の同余震の深さは約50km、岩泉町付近を震源とした1987年岩手県中部沿岸地震の深さは約72kmとされており、仮に盛岡市付近で発生すると100km以深となる可能性が大きい。それ故、内陸の盛岡市域で阪神淡路大震災の神戸地区のような壊滅的な被害は生じにくいと考えられる。しかし、マグニチュード8クラスの巨大地震が発生した場合には、一部の建物が損壊する震度6程度の可能性はあるものと考えられる。なお、図1−7および図1−8に1994年における東北地方の地震活動図(仙台管区気象台)、図1−9および図1−10に三陸はるか沖地震の余震活動が活発であった1995年1月1日から10日までの間の岩手県周辺での地震活動図(盛岡地方気象台)を示す。