1−2 岩手県内における過去の地震災害


 地震の観測が詳細に行われるようになったのは近年のことであり、特に明治以前の地震は古文書などの記載をもとに概略を推定することしかできない。記録に残る岩手県での被害地震は表1−2に示すように37件が知られている。最古の記載は、西暦869年の三陸沖を震源とすると推定される地震で、沿岸で1000名以上の水死者があったとされている。以降、岩手県においては青森県東方沖、三陸沖、宮城県沖を震源とする地震で繰り返し津波に襲われている。近年も、明治29年の明治三陸地震津波で、18158人の死者・行方不明者、昭和8年の昭和三陸地震津波においても、2671人の死者・行方不明者を出している。昭和35年のチリ地震津波のように遠隔地の地震による津波による被害も多く、これは三陸沿岸がリアス式海岸という津波が増大しやすい地形を呈していることにもよる。

 津波災害以外の震害も決して少なくはない。昭和43年十勝沖地震、同45年秋田県南東部の地震、同53年宮城県沖地震等で家屋の倒壊等の被害を被っている。特に、明治29年の秋田県境の真昼岳北側で起きた陸羽地震は兵庫県南部地震と同規模のもので、被害の大部分は秋田県側に集中したが、西和賀郡・花巻等で死者4名、全壊家屋110棟の被害が生じている。また、昭和6年には小国川上流で局地的な被害も記録されている。図1−5表1−2に示した地震のうち岩手県内および近傍で発生した地震の震源および規模を示す。

 盛岡市域においては、大規模な被害の記録はほとんどない。1770年(明和7年)に、”盛岡で人馬の死多し”との記録があるが、不確かな要素もあり要再検討とされている。また、1855年(嘉永7年)に盛岡?”上屋敷長屋通り潰れる”との記録があるが震源等は明らかになっていない。しかし、このことから盛岡市域は地震災害にみまわれ難い地域と判断するのは早計といえよう。自然のサイクルは千年・万年オーダーであるのに対し、正確な地震観測が行われるようになったのは百年に満たないし、過去の地震災害の検討の資料となる古文書等も西日本に比べて少ない。昭和以降における盛岡市で震度4以上を記録した地震を表1−3に示すが、震度4が11回、震度5が4回、合計15回ある。直接的な被害には至らなかったものの、被害ギリギリの揺れが高い頻度で生じている。また、そのうちの6回が平成4年以降に集中していることも留意すべきであろう。

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